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してはいけないと分かっているのに 

 松田 昇

 

  大学1年か2年の時、化学の授業で薬品を順番に混ぜ合わせて化学変化をおこさせる実験があった。その時、「AとBを混ぜるのが正しい進め方だが絶対にAにCを混ぜてはならない。有毒ガスが発生してこの場にいるみんなが死んでしまう」というような注意があった。その後私の気持ちは、「本当にAとCを混ぜたら誘導ガスが発生するのだろうか」「そのガスは即効なのだろうか」とか、その「注意」の方にすっかり傾いてしまった。

 さすがに、自分を含め人が死ぬようなことはしなかったが、そんなことを考えていたのは自分だけだったのだろうかと思うことがある。人には、「してはいけない」と禁止されると、逆に「してみたい」「したい」と思う心理があるという。カリギュラ効果と言うらしい。

  心理学用語にあるからといって、してはいけないことをして許されるはずがない。ところがこの日本には、広く一般にしてはいけないとされていながら、してしまっても法的に罰せられない事象がある。それが「差別」である。

  ヘイトスピーチが問題になっている。あまりにも生々しいのでここにそれを紹介することは控えるが、在日朝鮮人の集住する地区に向かい、ありとあらゆる汚い言葉を投げかけながらデモをする。拡声器を使ったその言葉を聞く在日の人たちの気持ちを想像すると、いたたまれない。配置された警察は、その言動を規制するのではなく、ヘイトスピーチに抗議する人たちとの間でのトラブルを防ぐためにいる。

  国会でようやくヘイトスピーチの規制法が制定された。ヘイトスピーチに対する対応を迫られていた現政権が、ようやく重い腰を上げた。しかし「禁止法」ではない。罰則規定もない。

 この4月から施行された「障害者差別解消法」にしても、罰則規定はない。だから日本では差別をしても法的には罰せられない。

 熊本では最初の地震から数日後、〈井戸に朝鮮人が毒を入れて回っているそうです!〉という、極めて悪質なデマが出回ったという。現地ではデマに振り回されることはなかったようで、「そもそも井戸なんてないし」という声もある。

 1923年(大正12年)9月の関東大震災の時に、全く同じフレーズのデマでたくさんの在日朝鮮人が日本人の自警団に虐殺された。阪神大震災の時、神戸にいた在日朝鮮人はそのことを真っ先に思い出し、それがいちばん怖かったという。東日本大震災でも、昨年の鬼怒川の洪水でも同様のデマはあった。90年以上も経っているのに全く同じように「井戸に・・・」というのは何を狙ってのデマなのだろうか。

  私は、人の心は弱いものだと思っている。どんな人でも、心にプレッシャーをかけ続けられたり、攻撃され続けたら、自分を守ろうと心に殻を作ったり、簡単に壊れてしまったりするものだと思っている。他人の物を壊せば弁償しなければならないが、他人の心を壊しても何も補償しなくていいというのはどうなんだろう。心を壊しているということにさえ気づかないでいるかも知れないのに。