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差別を自分の問題と考えるわけ

 松田 昇

 

  「差別は人を醜くする。」私はこう話す講演を2度聞いた。それは、NPO人権センター長野の高橋さんという人からである。反対を押し切って被差別部落の男性と結婚した女性に対して、実家の父親から「これまでお前を育てるのにかかった経費」として何百万円という請求書が届けられたという話を指してのことだった。2度とも胸が痛んだ。冷静になって考えればあり得ないこんな行いを父親にさせたのは、被差別部落に対する差別意識だった。

  その長野県で11月21,22日に開催された第67回全国人権同和教育研究大会に参加してきた。今も残る部落差別。日本の人権問題の中でも最も根源的なものだと私は思っている。その部落差別をはじめとするいろいろな差別や人権の課題に対して、学校教育、社会教育からの取り組みを交流し合う大会で、かつては2万人を超える人が集まったが、ここ数年は減っている。それでも約1万人の人がこの問題を討議しに集まる。現役の教員時代は毎年のように参加していたが、退職してからは初めての参加である。さび付きそうになる自分の人権感覚を、いつもここでリセットしてきた。

 2日目の分科会の最後の総括討論での、部落外から嫁いできた埼玉の女性の話が印象的だった。反対を押し切って嫁いできたのだろう、であるからには部落差別について勉強しなければと、京都、大阪に行ってくると姑に言った。「勉強するのはいい。でも納得できなかったら帰ってこなくていい。」退路を断たれた言葉に決意は固まる。

 子どもが大きくなり、社会的立場を告げなければと肩に力が入る。長男に話す。「お母さん、何を迷っていたのか。差別は人がつくったもの。なくせないはずはない。」教育の力の大きさを感じる。

 次男になかなか話せない。きっかけを得て、今だと思い話す。家中のものを壊して次男は家を出て行った。4日目に万引きして警察から連絡があった。髪を染め、シャブにおぼれる生活。心中しようと首に巻いたひもに力を入れようとした瞬間、泣いて抱き合った。しかし後遺症が孫に現れる。差別が生む悲劇に誰が責任を取るのか。

 東京の小学校のある教師は、卒業させた子たちが中学校で差別やいじめを受けて学校に行けなくなっているという事実を知り、愕然とする。「こんなん、やっぱりおかしいでしょう」と何度も語る。それまで子どもを力づくで型にはめようとしてきたが、差別される側の子どもに寄り添って考え、共に行動するようになったという。

 差別は、差別される側の問題ではなく、差別する側の問題である。障がい者差別の問題は、障がい者本人にあるのではなく、まわりの人間にある。障がいのない人間が、差別を自分の問題と考えない限り、障がい者差別はなくならない。他の人とは違っていても、そこにいることをあたりまえと受けとめる社会にすることが、私たちの課題である。