松田 昇
一昨年、あんとふる開設の準備にかかった頃から、日課になってきたことがいくつかある。その一つに、風呂上がりから寝る前の間のストレッチがある。時間にして15分から20分ぐらいだろうか、時々そこに筋トレが加わる。決して若くはないので、この仕事をする上で体の手入れは怠らないようにということで始めた。帰宅が遅くなった日以外、ほぼ毎日続いている。
毎日するようになると、面倒くさいということはなく、それをすることが当たり前になるので、逆にしないと落ち着かない。毎日しているおかげで、体の方は若い頃よりずっと柔らかくなった。継続は力なりとはこのことかと実感している。
ガイドヘルプとして、買い物、銭湯、プール、カラオケ、ボウリング場などへよく行く。週に一度必ず行くところもある。
ある日、銭湯の下見に出かけ、受付の人にガイドヘルプで障がい者といっしょに来るということを話した。「どんな人ですか?」と聞かれたので、何を聞きたいのか分からず、「知的障がいですが、歩けます」と答えた。「暴れたりしませんか?」と聞かれた。その時は、そんなことはありませんと答えたが、あとからどうしてそんなことを聞くのだろうと考えた。この人は、障がい者=暴れる人というイメージをどこかで持ったのだろうか。そんなできごとをある人に話したら、「○○さんのお母さんは子どもを連れて△△湯に行った時、(障がい児だということで)入浴を断られて泣いて帰ってきた」という話を聞いた。そこで、先ほどの「暴れませんか?」と言われた銭湯へ続けて行くことに決めた。障がい者=暴れる人というイメージを壊したいと思う。今のところ1回しか行っていないが、けげんそうに見つめる目はなかった。
プールにも下見に行ったとき、「とにかく連れてきてみて」と言われた。毎週行くようになると、この利用者さんは、受付に自分から療育手帳を出して「お願いします」と言うようになった。受付の人も、彼に対して「はい、どうぞ」と笑顔で返してくれる。当たり前の光景に見えるが、ヘルパーが受付をしてしまうと、受付の人はヘルパーに話しかけてくる。そうでなくとも、受付やレジで、本人ではなくヘルパーに向かって話しかけられることがよくある。そういう所こそ、毎回行かなければと思う。継続を力にしていきたい。
障がいのある人に対して、あからさまに「他の人の迷惑になるので」とは言わないまでも、その方に見合った設備の整ったところがありますよという「別の所への勧め」がよくある。
作家の曾野綾子さんが「もう20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」などと新聞に書いたことが、アパルトヘイトを容認するものだという批判を浴びている。「別の所への勧め」と同質の発想である。「分けた方が都合がいい」は、分ける側の論理だ。分けられる側の心が痛んでいることを知らなくてはいけない。