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不安な年の始まり

松田 昇

 昨年末から私は憂うつだった。その原因は「もしトラ」である。「2024年の秋のアメリカ大統領選挙でもしもトランプ氏が勝ったなら」という意味である。そして迎えた2024年は大地震に始まり、翌日には羽田での航空機事故。「もしトラ」がどうやら「ほんトラ」になりそうな情勢。不安な気持ちでいっぱいの年の始まりである。

 トランプ大統領が復帰すると、アメリカはウクライナから手を引き、イスラエルには支援を増し、中国製品には高い関税をかけ、日本には自分の国は自分で守れと言ってくるのだろう。さらには気候変動など作り話と言って二酸化炭素をどんどん出すのだろう。なんとか保たれている世界の均衡が一気に崩れそうで、怖い。そんなことよりも、アメリカ国内のことが何よりも大事なことになるのだろう。

 人類はこれまでの歴史の積み上げの中で、平和や自由、平等、人権尊重などの社会規範を築いてきた。しかし国の仕組みや制度が整っておらず、それにはほど遠い国が世界にはたくさんある。裏金が横行しても、それを取り締まる人も制度もない国で育てば、平等という社会規範は持ちにくい。このあと人類が存続し続けるためには、すべての国や人がここを目指して歩まなければいけない、と私は信じている。

 アメリカが、そうした社会規範を持つお手本の国として世界をリードしてきたというのは幻想だった。もちろん個人的にはすばらしい人もいるだろうが、より多くの人がそれよりも「もしトラ」を選択しようとしている現実は、アメリカは正義では動かない国だということだ。

 ハンセン病の療養所を訪れ、差別からの解放を元患者と共に闘った真宗大谷派の玉光順正さんを招いて小松で講演してもらったことがある。20年以上前のことであるが、玉光さんは、「どれだけ正義を訴えてもそれだけでは人や社会は変わらない。ねんごろに人とつき合うことだ」と話されていた。若い頃「松田さんの言うことは正論だけど、ついて行けない」と言われたことがある。それだけに玉光さんの言葉は印象に残っている。

 前回トランプ氏が大統領になったとき、日本の首相が真っ先に会いに行った。当時、正義を振りかざしたヨーロッパのリーダーたちに比べて、媚を売りに行ったように見えたが、案外それがねんごろな行為だったのかもしれない。