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悲しい時代、社会にしないために

松田 昇

 

 今年の大河ドラマ「どうする家康」は不人気らしい。一方昨年の「鎌倉殿の13人」は高い人気だったようだ。ところが私の中の評価はまったく逆である。「鎌倉殿」は、北条義時がだんだんいやな人間になっていくのを見るのが辛かった。怒鳴り合う場面ばかりが印象に残っている。それに引き換え「家康」は、情けない家康が徐々にたくましくなっていく姿に安心感を覚える。ひいきのチームの勝ち試合を、あとから録画で見るようなものだ。

 どうして義時はあんなにいやな人間になっていったのか。頼朝がまわりの人間を信用せず、次々と追い落としていくのを初めは批判しながら、やがて自分もそうなっていく。あの時代は、家臣を信用していたらいつの間にか裏切られて自分が追い落とされる時代だったようだ。信長の父が信長に、「信じていいのは自分だけ」とドラマの中で言い聞かせていたが、それが戦国時代までの上に立つものが戒めとしてきたものだったのだろう。悲しい時代である。

 現代、同様に国家の実権を握る者がまわりの人間を信用せず、少し力をつけてきたとみると容赦なくその人物を切っていく国がいくつもある。専制国家と言われる国々である。少しでも隙を見せるとつけ込んでくる勢力があり、「信じていいのは自分だけ」と肝に銘じ、その信念に従って行動することが国としての秩序を保つことにつながるということらしい。

 まわりの人間を信じ、信頼関係の中で戦のない世の中を作ったのが家康、それが今年の大河ドラマの主題であろう。国という大きな社会、組織ではそうは簡単にいかないだろうからやや理想論のように聞こえるが、理念としては理解できるし受け入れられる。悲しい時代、社会にしないために、大事にしなければならないことである。私たちの仕事は、人を信ずるということを抜きにはできない。信用こそ第一ということを、つくづく感じている。サービスを利用する人との信頼関係、職員どうしの信頼関係。そして得た信頼を維持していくのもまた大事な仕事である。