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スペクトラムという考え方

松田 昇

 

 養護学校(現在は特別支援学校)に就職した(1977年)ころ、自閉症の原因は親の育て方という考えがようやく否定されてきたころだった。私が出会った自閉症の子どもの親の中には、そのことで大変辛い思いをされてきた方もいた。実際に自閉症の人と関わると、例えば、きちんとしないとすまないところなど自分にもそういうところあるなあと、己の中に自閉症的なところあると思った人は多いと思う。

 やがて高機能自閉症とか、アスペルガー症候群とか、注意欠陥多動性障害とか、いろんな専門用語が氾濫するようになると、そうしたカテゴリーのすき間に位置したり、重複したりする人が出てきた。もともとそういう人はいたわけで、カテゴリー化するから「出てきた」ということになる。そうすると、今度はこうした障がいはそれぞれ独立したものではなく、連続的につながっているもの、すなわち「自閉スペクトラム症」という捉え方が出てきた。ここに来て、己の中の自閉症的なところが説明できて納得できたことを覚えている。

 この連続的なものでそれぞれが独立しているものではない「スペクトラム」という捉え方が、今生物のオスとメスという性別についても言われるようになってきている。

 例えば赤とんぼの赤いのはオスで、メスは赤くない。そこに体の赤いメスも時々いる。オスに似たメスや、メスに似たオス、オスでもメスでもなく、状況に応じてメス化、オス化する動物など、もともと生物の性は多様である。ヒトにおいても、生まれたとき、思春期、高齢期で100%のオスあるいはメスと、50%のオスあるいはメスの間を行き来しているのだという。そしてこのことは、細胞レベル、遺伝子レベルでの研究も進んでいる。

 

 性をオスとメスという二面的に捉えていると、そこから外れる人をあるべきではないと考えたり、異常なものと考えたりすることにつながる。そのことが当事者を苦しめている。スペクトラムという考え方は、多様性を認め合うことにつながる。「みんな違って、みんないい」のである。