松田 昇
50年以上前、ベトナム戦争のまっただ中の時期に少年時代を過ごした私に、今でも脳裏に焼き付いている1枚の写真がある。肩から下の体がちぎれたベトナム人の死体を、まるで物を運ぶように髪をつかんでぶら下げて歩くアメリカ兵を写した写真である。今のようにネットもSNSもない時代、何で見たかは覚えていない。あまりにむごい写真だけにずっと忘れられない。
当時ベトナム戦争をめぐって反戦運動が世界中に起こっていた。日本でもデモが行われていたことを覚えている。それは大国アメリカが、共産主義の南下を防ぎベトナムを解放するという大義名分で戦争に介入し、ハノイ(現ホーチミン市)を爆撃したり、ゲリラ活動一掃のため熱帯の雨林に枯れ葉剤を散布したりという、非人道的行為に抗議するものであった。当然そうした行為は、一般のベトナムの人たちに被害をもたらした。
その後もアメリカはイラクやアフガニスタンで戦争をしてきている。それが今回のウクライナでは、自国の兵士を派遣することなく、兵器だけ提供してロシアと戦争している。戦いの最前線に立っているのはウクライナの兵士である。私にはそんなふうに見える。もちろんアメリカも兵士を派遣するべきだとか、ロシア側の事情も考慮すべきと言うつもりではない。ウクライナの一般の国民がロシアの攻撃で命や生活を奪われている現実に心は傷むし、それを良しとして突き進むプーチン大統領を擁護する気持ちはいっさいない。でも、欧米や日本の国民が、ロシアに対する制裁強化一色に染まってしまうことには、やや危険なものを感じる。結局どこかの国の利益に誘導されていくのではないかという疑いがぬぐえないからだ。
ウクライナから避難している人々のほとんどが女性と子どもだという。男性は残って戦うことを求められている。侵略から国を守るため団結しているように見える。日本でも同じ事態が南や北から起こるとも限らない情勢と言われている。万が一の時、男はみんな銃を取れと言われたとき、それを拒否することができるのだろうか。話が現実味を帯びてきたら、考え込んでしまった。だめなものはだめと言って戦うことに背を向けるには相当な勇気がいる。ほぼ100%の人がマスクをしているスーパーに、マスクをしないで入るのとはわけが違う。