松田 昇
ゴールデンウィーク中、石川県は沖縄県に続いて2番目に県外からの来訪者が多かったという。その結果が、連休後の新型コロナウィルスへの感染者の増加だった。東京、大阪を始めいくつかの地域で緊急事態宣言やまん延防止等重点措置がとられているにもかかわらずである。こうなることが分かっているのに、人はなぜ動いたのかと思う。
自粛疲れ、宣言慣れ、心の緩みなどと言われている。それなりに対策をすれば大丈夫という過信もあっただろうが、毎日のようにテレビで大臣や専門家が訴えていた言葉が、人々の行動を制御するまでには届かなかったのだと思う。それは伝える側の問題であるが、受けとめる側の問題でもある。
1年前、この騒ぎが始まったとき、突然首相が学校の休校を要請した。対策としてどうだったのかという議論はあるが、日中子どもが家にいるということの影響は大きく、結果として人々の行動はかなりコントロールされてしまった。危機感を持っていることも伝わってきた。危機感の伝え方ということでは、ドイツのメルケル首相の演説が話題になった。ここというときに伝える言葉を持っているトップは信頼できる。毎日のようにテレビに出てくる都会の知事は、もう使う言葉もなくなってきているのではないだろうかと心配してしまう。訴えの中身よりもそっちに心が行ってしまう受け取り側の自分がいる。つくづく難しいものだと思う。
コロナ禍の中、あんとふるの外出支援も行き先等に制限を続けている。流行の波にあわせて緩めたり、強めたりだが、基本的には行政の対応を見て決めている。ところが昨年は頻繁に来ていた厚生労働省からのメールが、今はほとんど来ない。コロナへの対応は以前通知したとおり、行動の抑制は別の部署が担当だからということだろうが、これでは人は動かない。県や市からはメッセージは届いている。先日は珍しく谷本知事がテレビに出演していた。失言もあった知事だが、ここは自分が前面に立って訴えなければという思いは伝わってきた。
外国人は、罰則等を伴わない単なる要請では動きを止めないという。コロナ禍の中でのさまざまなルールは、厳しい監視や罰金があるから守られる。結果として感染の広がりが抑えられたという面はあるだろうが、そんなことしなくても私たちは動きます、いや動きませんと言いたいものだ。