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言葉で考えることと感じ取る力

松田 昇

 「目の見えない人は夢を見るのですか」と視覚障がいの人に聞いてみた。「見えていた時期の映像が出ることもあるけれど、ほとんどは音と触った感覚の夢」ということだった。言われてみて「それはそうだな」と思った。では、言葉のない人は考えるときに言葉を使うのだろうか、使わないとすればどういうふうに考えるのか、と気になった。

  学生時代に読んだ「ソロモンの指環」(コンラートローレンツ)は、動物行動学のバイブルとも言える名著である。私は動物行動学の専攻ではなかったが、生物学科に身に置く者として非常に興味深く読んだ。ずっと手放さなかったはずだが、その行方が不明になり、改めてアマゾンで注文して読んだ。

 ローレンツ博士はその中で「真の意味での言語というものを動物はもっていない」と述べている。社会生活をする動物の音声や表現は、仲間に何かを伝え行動を促すという意識的な目的はないという。それは人間で言えばあくびやしかめ面や微笑みのようなものらしい。まわりの仲間が、とても精巧にできた器官でその信号を感受し、自分の行動につなげている。言語を操るようになった人間は、逆に何でも言語化することによってしか理解できなくなってきている。

 もしかして言葉のない人は、言語化しない分、相手の気分を感じ取る能力が失われていないかもしれない。そう言えばと思い当たることもあれば、そうかなと思うこともある。ただ、言語で考えることが苦手な分、「毎回同じ」は、とても安心できる状況だと言える。いつも同じ道順であること、いつも同じ順序で行動することなど。

 

  ネコが「ニャー」と鳴くのは人間に対してだけだという。ネコどうしでは「ギャー」とかもっと濁った声である。我が家のネコは夕方5時を過ぎたころからずっと「ニャー」と鳴き続ける。こちらの顔を見て訴えるように鳴くこともあれば、歩きながら別の方向を向いて鳴くこともある。私が立ち上がったり歩いたりすると、次の段階の「ニャー」に代わる。明らかに違う。「おなかがすいた」「エサがあたるのか」という気分、期待を表現しているのだろうが、その時間はまだまだだ。こちらはただトイレに行きたかっただけ。