松田 昇
私が教員になってしばらくは、夏休みというものがあった。子どもたちの夏休みは今もあるが、教員にもあった。制度としてあったわけではなく、実質としてあった。登校日だけ行って、後は家で大半の日を過ごしていた人もいた。
それがある頃から、夏休み中に研修したことを報告しなさいとなり、やがて普段通り出勤しなさいとなった。出勤してもすることがないとまずいから、いろいろとプログラムが組まれるようになった。
この時代は日本の高度成長期が終わり、日本経済とともに人々の心も冷え始めてきた頃である。自分の周りを見て、楽している者を見つけるとあれこれ言い始めた。特に公務員に対するバッシングの激しかった時代である。そして管理を徹底することで組織は効率的に機能するという組織論が主流になった。「ゆるさ」を許容する時代は終わった。
その後に生まれ育った人は、それが標準装備となっている。私でさえその流れに飲み込まれ、そうした考えに浸かっている自分に気づいてはっとすることがあるくらいだ。
近年、福祉の現場には必須の委員会や研修、訓練などが増えてきている。そしてそれをしていないと報酬が減算される。世知辛くなったものだ。災害や感染症への備え、虐待の防止など、どれも大切なことではある。会議をするにはそのための準備や打ち合わせも必要になる。しかし会議に追われる日々は疲れ、創造性を失う。私は教育の場でそのことを痛感してきた。毎日何かしらの会議があり、授業の準備が業後になることは日常茶飯事だった。
夏休みがあった頃、私の初任校では家庭訪問に行くことが学校としての業務計画の中にあった。この機会に普段できないことを勉強して糧とする人もいた。あんとふるでは虐待防止につながる人権の研修会を、必須になる前から毎年3回している。本当に大切なこと、必要なことを言われなくてもするには、実は「ゆるさ」があったほうがいい。
