松田 昇
とある温泉街のコンビニでのお話。店の奥にあるコピー機の横で若い女性の店員さんが、お客さんと思われる高齢の方に話されていた言葉が耳に入ってきた。
「そんなんならここに来てお話でもしていけばいいがいね。」
その言葉しか聞こえず、また利用者さんと一緒だったためその続きも聞けなかったので、話の前後はわからない。でもそれは孤独なお年寄りに、このコンビニは交流の場でもあり、自分たちはそのことも引き受けているというふうに聞こえた。「へぇー、コンビニにはこういう役割もあるのか」と正直思った。コンビニやその店員を、ただの素っ気ない店と見下していた自分が恥ずかしくなった。
実際にこのコンビニの隣には4人掛けのテーブルが4つと長椅子が置かれた交流スペースがあり、地域のお年寄りや、子どもたち、旅行客などいろいろな人たちが利用している。店員さんの言葉は、こうした状況を自覚しての言葉だったような気がする。
前後してある雑誌で、孫世代の20~30代のスタッフがシニア世代を訪問し、スマートフォンやパソコンのレクチャー、散歩やお出かけ、趣味のお供などのサービスを提供している会社の記事を読んだ。その会社では150時間の研修を受けさせてこうしたスタッフを育てている。看護や介護の専門職ではなく、人生の彩りやポジティブさ、前向きさに伴走する専門職を育て、家庭やイベントに派遣する事業を展開している。
それまでの人生にある程度満足していて、老後の生活に潤いを求めている高齢者が利用しているイメージだが、基盤としてあるのは、人は人と会ってコミュニケーションをとることが大事だという価値観。自社の職員向けの研修を、企業研修として他社にも提供もしている。先のコンビニもその一つなのだろうか。
仕事をリタイアして通うところがなくなっても、高齢者だけが集まるデイサービスには抵抗がある。徐々に趣味の集まりにも足が重くなる。町内会の集まりにも積極的に参加してきたわけではないので、近所との付き合いもうすい。こうやって地域で孤立していく姿は他人事ではない。コンビニに行くのを日課とすることもありか。

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