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分断社会にならないために

松田 昇

 

 10年以上前の話だが、地方の小さな町の首長になった友人から「長になった途端、いろんなやつが言い寄ってくる。それらを断っていたら『次の選挙はないぞ』と言われるんや」という話を聞いたことがある。実際に次の選挙で彼は落選した。政党というのは政策やイデオロギーでまとまっていると思っていたら、「自民党は利害で繋がっている」と言った友人がいた。確かにと納得した。

 町内会の会計をしていたとき、老人会に交付したお金の使途の明細を求めたところ「いつからそんなもの出せと言うようになった」と逆に文句を言われたことがあった。

 昔から「政治と金」とか言われて政治家の体質が批判されているが、実はそれを支えている構造が民の方にもあると思う。

 そういう目で見ると、今の総理に辞めろと叫んでいるのは、利を得られなくなった側からに聞こえる。私に言わせれば、野党の要求も取り入れながら政権を運営している今の姿は、より国民の声を多く拾っていていいと思うのだが。

 それにしても気になるのが、国民の声の一部になろうとしている勢力である。7月にあった参院選では外国人排斥の主張がSNSで拡散されていた。マスコミはそれを批判的に報道し、さらに注目を集めた。候補者たちは差別ではないと言い、その主張に頷く人たちがたくさんいて、一定の票を得たことが気になる。

 特定の人を排除して成り立つ平安は、次の異端を排除しようとするだろう。外国人の排除は、障がい者の排除とつながっている。それは私が願う「共生」とは真逆の位置にある「差別」である。

 今まで言うのも憚れていたことが堂々と言われると、それを押しとどめようとする声も大きく、荒くなる。そうやって社会は2つに分かれていく。アメリカがそうだ。ヨーロッパでも起こっている。その波は日本にもやってくるのだろうか。

 難民が押し寄せ社会不安となっている欧米に比べ、そもそも難民の受け入れを制限している日本では波の大きさも質も違う。それでも周りに外国人が多くなってきたと感じている人々に、不安を煽った効果は大きかった。それは、この「あんとふる」第40号に私が書いた、地域に障がい者支援の事業所ができるときの不安に似ている。交わりがないと不安は解消されない。